左手だけ痛ネイル

不安定なカナちゃんの日常

おどろきのからだ

びっくりするくらい調子が悪くて、やっぱり冬のせいなのだろうか。なにをするのにもやる気が出なくて、こわくて、誕生日にもらったLINEとかも返すの怖くなったりしてしまう。すべてが悪循環。山本文緒さんはうつ病がちゃんと治るのに11年かかったと本に書いてあった。よくなったり悪くなったりを繰り返して、でも通院は続けて、ときには入院をして、薬のちからをかりて眠って。そういうもんなんだと思う。

本当に調子が悪くなったのはわたしが25歳頃、そこからもう5年経ったが、いつが治りの境目だったのかずっと謎だった。薬を飲み続けてもいないし、カウンセリングはたまに通うくらいだったけどそれでも自分が正常なのか異常なのかがよくわからなかった。でも今日1年ぶりに「病院に行かないとまずいな」と本能的に思って、主治医に会って薬を処方されたことを考えるとまだまだちゃんと調子悪いんだなと思った。しんどい。一生この憂鬱が続くのだろうという悲観的観測しかできない。理由がなくても涙が出たり、やろうと思った仕事やメール、友達へのLINEの返事も、ちゃんとできるのに半日を要する。今は薬があることだけが救いである。

 

 

 

 

冬がいつもしんどいくなるの、ここ数年ずっとなんだし、そんなにおどろくことでもビビることでもないのはわかっているもののやっぱり12ヶ月のうち9ヶ月も前のことはもう忘れちゃうし、うつ症状は毎度毎度新鮮な感覚である。

寒いというだけで調子が下がるのだから、きっと北欧の国に住んでいたら一年も経たずに自殺してるだろうな。北欧は幸福度が高い。でもそれはきっと気温が低くて雪まみれで日照時間も短い生活の中で見つけた唯一誇れるポイントなのかもしれないな。最近ふたりパパという北欧のゲイカップルのYouTube見るのが好きで何でも北欧北欧と考える。

それでもヘッドホンつけたらいきなりビートルズsiriが流してくれたりするもんだからまああとちょっとがんばってみるかという気持ちになる。最近インタビューしたモデルさんの文字起こしをやっていたのだけどあまりにもいいことを言っていて泣けてきてこの2週間先に起こるだろうめんどくさくてつらいクソすぎる日々もこのひとのインタビューを思い出せばがんばれるかもしれないというくらい。モデルさんだからもちろんファッションやメイクやへあの話になるのだけど、それはもう世の中のどんなことにでも置き換えられるようなことで。ちゃんと原稿書こう。

こういう素晴らしい出会いがあるからやっていてよかったなと思う反面、素晴らしい出会いは数えるほどしかなくあとはただ消化と忍耐、諦めと創造をくり返す。でもそれはお金をもらうためなのだろう。あたしが死にたいって喚くと、「どんな形でもいいから生きて」と励ましてきた人たちは、その言葉をかけることであたしが励まされるわ〜とでも思うと思ったんだろう。どんな形でも生きた場合でも、生きているだけでお金が発生する。災いに巻き込まれる。ストレス耐性が高いか低いかは別として、その災いに巻き込まれてもう無理だってなったらマタ死にたいって喚くんだ。だから別に変わらない。

この仕事しかできない。でもこの仕事がしんどい。堪え時なのかもしれない。ここでやめたら今までやってきたキャリアの積み上げが止まってしまう。キャリアがすべてじゃない職業でやっていける自信も自分を保てる自尊心も残ってない。適応能力もチャレンジ精神もいつ失ったかわからない。この仕事しかできない。無責任に生きろと言われることがどれだけしんどいか考えている。

同調圧力

明らかにその人がミスってるのに「でもカメラマンにもプライドがあるから」とか言ってそのカメラマンのミスが浮き彫りにならないように気遣う奴がいてふうんとおもった。まあその人が年上?だから?言わないの?年上=プライドがあるってことかい?プライドは歳を食わなきゃ現れないのかいそうかいそうかい じゃあまたあたしはキチガイだねまだ30にもなってないのにプライドの塊であるコンクリートみたいに硬い。

 

間違っていることを、正せばその作品が数倍良くなることを、勇気を持って言える人はどれだけいるのかな。同調圧力の世界で指摘するのは勇気がいるよねでも椎名林檎なら言うよな、と思ってじぶんのこと奮い立たせてみる。わたしの心の中の椎名林檎ならきっと最後まで手を抜かない

 

あんたのその文章で依頼しちゃあきっと相手にキレられるよ。失礼よ受けてもらえないよ。あんたそのやり方でやってっからデザイナーに舐められるのよあんた時にはデザイナーを変える勇気が必要よ何度も言うけどあたしはただのライターだからねデザイナーじゃないからね

 

撮影現場で緊張感なくお菓子を食べ続ける人がいたんだけどすごい好きだった そのメンタルほしいあたしも食べたい

寝ながら泣くと目も鼻も詰まるのでこのまま窒息死もありえるなと思いました。また一人にされているということは、こいつ死ぬわけがないと思われてるのだと思う。舐められたものだ。これだから人の気持ちをわかろうと打力しない奴は困るよね。でも心配しないでね、あたしは大丈夫だから。

具体的な男

本当に死のうと思った。岡村さんにうざいと言われたのでわたしは生きてる価値がないと思う。死にたい大事にされないなら誰かと一緒にいる意味がない人を信頼しすぎるとほんとに終わるということをわかってない。別に死にたいんだと話しても、じゃあ寝なよとか小手先のことしか解決しようとしない。欲しいことは何?みたいな目先のことしか言わない話さない考えてくれない。30歳を節目と考えるのか、もう終わらせてもいいのではないか。それとも向き合ってくれる具体性を もし死ぬんだったら俺と離婚してからにしようもし死ぬんだったら俺のいない人生を生きてからにしなよとかそういう話しかしない。そういう話ではない。5年いてもこんなかんじならあと10年いたらまだましになるのかな 一度の爆発でこの1週間の楽しかったことがすべて台無しになるような気分なのに、健常者には一生わからないだろう いや、わかられてたまるかという気持ちもある。岡村さん、自分のことが大好きすぎるのかいつも話すと主語が俺になる、じゃあ俺は?俺だったら〜する俺だって〜俺は〜とか。いつも思う、この人は自分に置き換えて話はできるけど相手の立場になって考えることができない人なんだなと。辛さを話しても、泣いても、訴えても、わたしの夫はわたしの悩みを会社のタスクみたいに捌いてくる。じゃあこうすれば?とかじゃあこうしてみよっか?とか具体的な解決策を提示するその様はまるで仕事。ただ話を聞いて欲しいとか寄り添って欲しいとかわたしの立場になって一緒に悲しんで欲しいとか、そういうどうしようもない感情の話なのに岡村さんにはそれができない。だからきつい。自分のライフポイントがたしかに減り続けるのを感じる。幸せな人生を生きてきたやつとは価値観が合わない。でも不幸な人生を生きてきたやつとも一緒にいられない。自分に価値が見出せない。楽しいことが昨日まで続いていてもそれがすべて台無しになるほどの自分のどうしようもなさ。生きてるだけでえらいとコウペンちゃんは言うよねありがと。だけど結局誰の力も借りずに生きていこうとするのってめちゃくちゃ難しくてつらくてしんどい。別に心を開くつもりもない。だから死ぬという選択肢が手元にあることがいつも手元にあることが心が安心する。30歳、よく生きた。頑張った。あたしがあたしを守りぬく。もしやるなら仕事を全部片付けた後で。あたしが死ぬことで迷惑かけたいやつらには迷惑がかかるように。ことの重大さを思い知らせることができるように。それがボーダーの症状だってわかっていても別にいいだってボーダーだもん。あたしはボーダーになんてなりたくなかった。あたしをボーダーに仕上げた奴らとあたしがボーダーでいることを助長し大事にしなかったやつらが泣けばいいし泣かなくたって別にいい死人に口なしでもいい誰にもわかってもらえないなら永遠にわかられないところに自分を持っていく選択肢もある悲しめばいい もっとつらいことしてきたないてきた でも私がないても、いつのまにか誰も慰めなくなった。あたしが泣くのが普通になった 麻痺された。また泣いてるまた騒いでるまた狂ってるって思って一人ぼっちにした 疲れた死にたい

ピアス開けたい

30歳までに編集長に俺はなるってむか〜し目標にしててでもいざそういうふうな話になったときに即座にやりますッ‼︎って言える瞬発力体力、どこにおいてきたんだろうか。学生ン時に働きマンとか読んでさ、働く女かっけ〜〜〜〜編集者かっけ〜〜〜〜って夢を見た。編集者になりたい→売れる本を作りたい→100万部売りたい→30歳までに編集長になりたい、みたいな安易なループで夢を語り、いざ夢は22歳で叶ったのも束の間、転落、うつ病ニート、無職。その後なんとかフリーランスになり、どうせ金なんて稼げないと思ったら、若くてフットワークの軽い安い女ライターは引く手数多だった。みやもとさん、大丈夫だからきっと来年には仕事断るようになってるよって先輩が言ってくれてほんとにそうなった。

 

フリーで食ってけてる。かっこいいね、すごいね、ふりーって。そうクソほど聞いたが、別にかっこいいことなんて何にもない。うるさい。だまれ。ただ毎朝起きて同じ場所に通ったりできないだけだ。無駄に人の顔色を窺いまくって疲れて自滅するあたしみたいなチンカス人間は、組織の中じゃ生きられないだけだ。俺にはできないことの方が多いんだ。運営もできないし、プロジェクトのチームの一員にもなれない。誰かと話したりできない。誰かに確認取りに行くのも怖い。メールも怖い。たまにメール1本書くだけで半日使うこともある。仲間と仕事ができない。実際逃げたこともある最悪の形で。だから必ず終わりがありチームが解散する書籍の仕事が好きだし、パソコンと向き合って一生原稿書いてる仕事しかできないできるだけ誰ともしゃべってたくない。

 

今日ある媒体の編集長にならないか的な話があった。22歳のあたしに聞かせてあげたい。念願の編集長だよ?ありがたいね。名前が上がったこと。あたしのこと覚えてくれていたこと。こいつならできるんじゃって1秒でも思ってくれていたこと。うれしいね。うれしいことなのに、死にたい。できない。絶対できない。無理です。「できないかもしれないからとりあえずチャレンジしてみようよ」とかそういう次元の話じゃない。やりたいと思えなかった自分に萎えてしまった。即座にやりますッ‼︎って言える瞬発力体力、どこにおいてきたんだろうか。わたし社員にもなれません、媒体を運営するとかそう言うのも無理だし、1年間同じところと契約するのとかできません。こそこそ生きてたいんです。ああ死にたい。責任が怖かった。ああこれはチャンスを逃したのか?どう?後悔してる?別の世界線にいる健康なあたしならば受けていただろうなと思う。それがわかりすぎるからこそ、狭間でゆれる現実の自分が憎い。

 

自信のある選択なんてひとつもないんだがそれはそうとこんなに不安定になってるからいつもより選択に自信がないんだろう。先輩は言った。不安とやりたい気持ちが5対5だったら俺らやるかな、でも不安のほうの比率がでかいんだったらやめときな。まあわたしは不安のほうがでかいので断ったのは当たり前の決断なんですけどッでも例えばシャンチーのリム・シウとかはきっとマーベルに飛び込んだんだなぁ、とか見るものすべてが無尽蔵に多少つらくても飛び込んだ功績でそうなっている、ように見えてしまってまた見るもの全てがつらいんだが状態になっとる あんた、もっとやりたいことあるんだろ?じゃあいいじゃんって気持ちもある でもまだ選択に自信がないからまたしても優柔不断でうじうじしてる自分が憎い