左手だけ痛ネイル

不安定なカナちゃんの日常

オリンピックやっと終わった

学校のクラスには、スポーツが好きで得意な人と、体動かすの苦手で教室にいたい人って様々いたはずなのに、どうしてオリンピックとなると急に「全国民がスポーツ好きでしょう?」のような前提で国が動くのかいつもわからない。

 

私は運動部だったが、今はスポーツもやらないし、スポーツで感動させられることもない。好きでも嫌いでもない。8歳のとき初めて連れてってもらったJリーグの試合では後ろの席のサポーターが「働けー! てめえら働けー!」と選手に向かって怒鳴ってて恐怖でしかなかったし、初めて日本代表の試合見に行ったときは貧血と熱中症で倒れていい思い出がない。強運かもしれない。

正直、スポーツよりも映画や本や漫画で感動させられた経験のほうが多い。本読んでボロボロ泣いたし、死にそうになった時に聞いた曲に人生救われたこともあるけど、それはスポーツではなかったんだよ。オリンピックはあたしみたいな人間を平気で置き去りにする。

夏休みの宿題のように、感動も、勇気も、押しつけられると嫌気がさす。なのに選手は「皆さんに感動を与えられるよう」とか「みなさんに勇気を与える演技ができれば」と真顔で言うし、メディアは「感動をありがとう」なんてださいキャッチコピーつけるものだからしばらくテレビを見られなかった。感動は与えるもんじゃなくて、勝手に心が動くものなのに。するかしないかは自分で決めるよ。

気持ち悪いプロパガンダのようにしか思えなくなっている。たぶん主語がでかいんだよな、「日本が」とか。人ひとりひとりにフォーカスしたほうが絶対おもしろいのにすぐ「日本の金メダルは◯個です!」とか「家族全員で取ったメダル」とか言うんだからグロいんだよね。どう?これなら感動するでしょ?見たくなるでしょ?って。沢尻エリカ主演のヘルタースケルターの映画のキャッチコピー、たしか「見たいものを見せてあげる」だったね。

「 見たいものを見せてあげる」なんて傲慢な発言をされたとしても、どうしても、絶対に見たいものなんてもう今ない。見たいものは選ぶ時代。